4月頭から始まったロックダウン。当初は5日続く予定だったのが、結果的に50日以上続いている。私はあまりの過激さに耐えられず、日本へ逃げました...
ロックダウンが始まったのは4月1日。正直、ロックダウンが始まった時、「あ、それほど酷くはないじゃん」と思いました。家にいるのも悪くないし、必要なものは備えていたし、これで5日間過ごせば大丈夫!と思っていたのですが、予定の5日間でロックダウンが解除されなかった時、だんだんハラハラしてきました。食料はまだあったものの、半分以上は非常食(缶詰、インスタントフード、クラッカーなど)だったので、流石にこのまま続くと大変だと思い、どうにか食料を手に入れようと色々試みました。
基本的に自分の部屋から出ることは禁じられていて、唯一下の中庭に出られるのは毎日実施されるP C R検査のためのみだったので、もちろんアパートの敷地内から出ることはできず、出られたとしてもスーパーもコンビニも運営していないし、タクシー、バス、電車も走っていない、デリバリーも届けてくれないという状況でした。
オンラインでしか買い物が出来ないと分かった時、あらゆるアプリを使って購入しようとしたのですが、毎回失敗。朝の6時から運営開始だったので、前の晩から買いたい物をカゴに入れて、6時になると同時に購入ボタンを押したものの、上海市民全員同じタイミングで購入をしようとしていたため、何度もエラーメッセージが表示され、最終的には5分後に全部売り切れ。これを10回(10日)以上挑戦しましたが、一度も成功できませんでした。
幸い、隣に住んでいた優しい女性の方が、マンション内の団体購入用のグループチャットに招待してくれて、なんとか食料を手に入れることが出来ました。しばらく、本当に飢死するかと思って、結構本気で怖かったです。…本当にお隣さんに感謝です。
食料を確保できて、一安心はできたものの、やっぱり毎日アパートから出られず、中庭の散歩もP C R検査のついででしかできないという状況に流石にうんざりしてきました。時間がたっぷりあったので、絵を書いたり、ヨガをしたり、映画を見たり、しばらく有意義な時間を過ごしていたのですが、流石に何週間もこれが続くと飽きてきます…前の生活では週3回水泳、週2回ダンス、週1回中国語という楽しい生活を送っていたので、急に家かれ出られなくなると、非常に辛かったです。
面倒ではありましたが、唯一外に出られる毎日のPCR検査が1日のハイライトでした。それ以外太陽の光を浴びる機会もなかったし、外の空気を吸うこともできなかったので。しかも、3週間くらいどこにも行ってないし、誰とも会っていないので、感染している可能性もなく、全くPCR検査に対する抵抗はありませんでした。
しかし、ある日私の住む5号棟に陽性者が出たとの通知がグループチャットで流れてきて、これが原因で5号棟の住民は別で検査されるようになり、隔離期間がさらに14日間追加されました。もうすでに21日以上経っていたのに、さらに14日間追加されることはもちろんうんざりしましたが、それ以上に、何故新規感染者が出たのかが謎すぎて、逆にそっちの方が恐ろしかったです。私を含めて、誰も外に出ていないのに、どうやって感染したのか。可能性としては毎日受けるPCR検査の時しか考えられなかったです。
そこでPCR検査を一旦やめるのかと思いきや、今度は他の棟は自宅で抗原検査のみ、5号棟だけ毎日PCR検査を受けさせられました。さらに、配給、団体購入の物を通しての感染があると判断され、一旦その購入も停止。
唯一外に出ているのは、PCR検査を受ける時だから、感染するとすればその時だと思い、正直もうPCR検査を受けるのも怖くなりました。それは感染するリスクがあるのももちろんですが、陽性でもないのに陽性結果が出てしまうことが怖かったのです。数日前に出た陽性者はどこかの隔離施設に連れて行かれたらしいし。ウィルスが怖いというよりも、その隔離施設に行くのが怖かったです。
ネットでPCR検査反対運動が起きているのを見たのですが、その人たちはドアに抗原検査を貼って、「私は陰性です。P C R検査と受けません」というメッセージを書いていました。それを見たせいか、その日からマンションの管理部がいつもの「下に降りてPCR検査を受けてください」というアナウンスに、今度は「受けなかった場合、あなたの健康コードが赤になります」という脅しを付け足していました。
正直、PCR検査を受けるのも怖かったのですが、それよりも大白(ハズマットを着たお兄ちゃんたち)の方が怖かったです。もしアナウンスを無視して下に降りなかったら、部屋まで来てドアを叩いて、「PCR検査受けろ!!」と怒鳴るのです…下に降りたら感染するかもしれない、偽陽性が出るかもしれない、でも、ちゃんと受けなかったら大白に怒られる。何をしても負けというような状況でした。
このようなルーチンが12日ほど続き、その間新規感染者が出なかったので、このまま解放されると思いきや、13日目にまた陽性者が出て、また14日間追加されたのです。しかも今度は、一人でも陽性者が出た場合、その階に住む住民全員を隔離施設に連れて行くという噂が流れていて、そんな噂を聞いてから、その日に出た新しい感染者は上の階の人だったことを知り、本当に怖くなってきました。噂によると、夜中急に大白が部屋まで来て、「荷物をまとめろ」と言い、無理やりでも隔離施設に連れて行くらしいです。その夜から怖くて寝られませんでした。
幸いそのようなことは起きませんでしたが、その日からは大白が一人ひとりの部屋まで来て、その場で抗原検査をやるのを見ていました。やっぱり抗原検査の場合はごまかせるからでしょうね。それで私の検査が陰性だった時、今度は下に降りてP C R検査を受けろと言われました…何故陰性なのにさらに受けるのか疑問だったのですが、どうやらPCR検査の最中に感染するリスクがあったため、まずは抗原検査で確認し、それが陰性であれば下に降りて良いというようなロジックだったそうです。
このような状況がまた続き、もう限界が来ました。40日以上部屋から出られず、食料もろくに買えない。政府から配給はあるものの、豚の耳とか、豚の内臓、鴨の内臓、謎のソーセージなど、正直あまり嬉しい配給ではない。
ただ帰国までの道のりも決して容易なものではありませんでした。最速で購入できたチケットは翌週の便で、もちろん日本に入国するためにはPCR検査の陰性証明が必要だったので、まずはチケットの購入と指定の病院でのPCR検査の予約をしました。また、マンションの敷地から出るためには居住委員会から特別な許可(通行証)をもらう必要があり、私の場合は特に書類は必要ありませんでしたが、場所によると領事館からの口上書などの書類を提出しなければならなかったそうです。ただ、自分がこの通行証をもらったとしても交通手段がなければ話にならないので、同じく通行証を持った運転手を見つけなければなりませんでした。タクシー、バス、電車などは運営していなかったので、大使館から紹介してもらったプライベートハイヤーの会社に連絡をし、PCR検査の病院の往復と、空港への片道の交通手段を手配しました。PCR検査病院の往復は1200元、空港までは2000元、通常の10倍以上しました…
出発の2日前にPCR検査を受けに行ったのですが、私の場合は幸い大白たちもすんなり出してくれました。知り合いはちゃんと必要書類を提出したにもかかわらず、門番や大白に話が伝わってなく、出させてくれなかったそうですが…中国ではしつこく言えば通してくれるという感じですが、私は極力ニコニコし、愛想良くして、大白たちと仲良くなる作戦で行きました。そうすると大白たちも愛想良く対応してくれて、ジョークも言いながら出してくれました。その日は無事PCR検査を受けられたのですが、病院に入るときにPCR検査の48時間以内の陰性証明が必要でした。PCR検査を受けるためのPCR検査…
そしてその翌日の夜、空港に向かいました。朝8時くらいの飛行機だったので、当日出発してもよかったのですが、万が一早朝出発で大白が出してくれなかったり、領事館も居住委員会も運営時間外で対応してくれなかったりすると怖かったので、前日入りで空港に行き、空港で一泊しました。野宿先輩が何人かいたので、状況はよく分かっていました。とにかく何もお店は開いていない、提供されるのはお水とお湯だけ、空港の中は寒い、横になって寝られないなど、結構状況は悲惨だったと聞いていたので、食料も防寒着もたくさん持っていき、なんとか一晩無事過ごせました。
その翌朝、無事チェックインができ、予定通りの飛行機で帰ることが出来ました。この悲惨な状況から脱出できたことが嬉しすぎて、日本語の登場案内を聞いた時、涙が出そうになりました…
日本に帰ってきた時、中国との差に驚きました。自主隔離を3日間実施し、その後PCR検査を受けて自由になってのですが、そこまで厳しく管理されず、みんなも非常に丁寧に対応してくれました。やっぱりどれだけ感染力の強いウィルスだとしても、ちょっと上海はやりすぎだと思います…老人の方が薬が切れたのに病院に行かせてもらえなかったり、子供ががんの化学療法を受けた後、自分のマンションに入れてもらえなかったり、陽性結果が出たからといって赤ちゃんを親から引き離して隔離施設に連れて行かれたり、飼い主が陽性者で隔離施設に連れて行かれたから犬を叩き殺したり…ちょっとやり過ぎです。
私はなんとか無事脱出できましたが、まだ上海で苦しんでいる人はたくさんいるので、その人たちが安全に生活できること、帰れるなら自国に帰れること、いつか上海は元通りに戻れることを心から祈っています。
あんまりふざけたことは書きたくなかったのですが、人生で初めて鳥を丸ごと捌かないといけない状況に出会ったので、その写真を共有します。政府からの配給は大したものではなかったのですが、今の会社は非常に良い会社で、肉、野菜、果物など、素晴らしい配給を配ってくれました。でも、その中に鳥が丸ごと一匹...結局頭と足を切り取って、内臓も全部取り出して、丸ごとスープにしました笑。