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海外思い出日記 yuko0301.exblog.jp

旅行先の情報や海外生活のあれこれを紹介するブログです。


by yuko0301

4月頭から始まったロックダウン。当初は5日続く予定だったのが、結果的に50日以上続いている。私はあまりの過激さに耐えられず、日本へ逃げました...


ロックダウンが始まったのは4月1日。正直、ロックダウンが始まった時、「あ、それほど酷くはないじゃん」と思いました。家にいるのも悪くないし、必要なものは備えていたし、これで5日間過ごせば大丈夫!と思っていたのですが、予定の5日間でロックダウンが解除されなかった時、だんだんハラハラしてきました。食料はまだあったものの、半分以上は非常食(缶詰、インスタントフード、クラッカーなど)だったので、流石にこのまま続くと大変だと思い、どうにか食料を手に入れようと色々試みました。


基本的に自分の部屋から出ることは禁じられていて、唯一下の中庭に出られるのは毎日実施されるP C R検査のためのみだったので、もちろんアパートの敷地内から出ることはできず、出られたとしてもスーパーもコンビニも運営していないし、タクシー、バス、電車も走っていない、デリバリーも届けてくれないという状況でした。


オンラインでしか買い物が出来ないと分かった時、あらゆるアプリを使って購入しようとしたのですが、毎回失敗。朝の6時から運営開始だったので、前の晩から買いたい物をカゴに入れて、6時になると同時に購入ボタンを押したものの、上海市民全員同じタイミングで購入をしようとしていたため、何度もエラーメッセージが表示され、最終的には5分後に全部売り切れ。これを10回(10日)以上挑戦しましたが、一度も成功できませんでした。


幸い、隣に住んでいた優しい女性の方が、マンション内の団体購入用のグループチャットに招待してくれて、なんとか食料を手に入れることが出来ました。しばらく、本当に飢死するかと思って、結構本気で怖かったです。本当にお隣さんに感謝です。


食料を確保できて、一安心はできたものの、やっぱり毎日アパートから出られず、中庭の散歩もP C R検査のついででしかできないという状況に流石にうんざりしてきました。時間がたっぷりあったので、絵を書いたり、ヨガをしたり、映画を見たり、しばらく有意義な時間を過ごしていたのですが、流石に何週間もこれが続くと飽きてきます前の生活では週3回水泳、週2回ダンス、週1回中国語という楽しい生活を送っていたので、急に家かれ出られなくなると、非常に辛かったです。


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毎日実施されていたマンション全体のPCR検査。


面倒ではありましたが、唯一外に出られる毎日のPCR検査が1日のハイライトでした。それ以外太陽の光を浴びる機会もなかったし、外の空気を吸うこともできなかったので。しかも、3週間くらいどこにも行ってないし、誰とも会っていないので、感染している可能性もなく、全くPCR検査に対する抵抗はありませんでした。


しかし、ある日私の住む5号棟に陽性者が出たとの通知がグループチャットで流れてきて、これが原因で5号棟の住民は別で検査されるようになり、隔離期間がさらに14日間追加されました。もうすでに21日以上経っていたのに、さらに14日間追加されることはもちろんうんざりしましたが、それ以上に、何故新規感染者が出たのかが謎すぎて、逆にそっちの方が恐ろしかったです。私を含めて、誰も外に出ていないのに、どうやって感染したのか。可能性としては毎日受けるPCR検査の時しか考えられなかったです。


そこでPCR検査を一旦やめるのかと思いきや、今度は他の棟は自宅で抗原検査のみ、5号棟だけ毎日PCR検査を受けさせられました。さらに、配給、団体購入の物を通しての感染があると判断され、一旦その購入も停止。


唯一外に出ているのは、PCR検査を受ける時だから、感染するとすればその時だと思い、正直もうPCR検査を受けるのも怖くなりました。それは感染するリスクがあるのももちろんですが、陽性でもないのに陽性結果が出てしまうことが怖かったのです。数日前に出た陽性者はどこかの隔離施設に連れて行かれたらしいし。ウィルスが怖いというよりも、その隔離施設に行くのが怖かったです。

プールの水を抜いた隔離施設。


ネットでPCR検査反対運動が起きているのを見たのですが、その人たちはドアに抗原検査を貼って、「私は陰性です。P C R検査と受けません」というメッセージを書いていました。それを見たせいか、その日からマンションの管理部がいつもの「下に降りてPCR検査を受けてください」というアナウンスに、今度は「受けなかった場合、あなたの健康コードが赤になります」という脅しを付け足していました。


正直、PCR検査を受けるのも怖かったのですが、それよりも大白(ハズマットを着たお兄ちゃんたち)の方が怖かったです。もしアナウンスを無視して下に降りなかったら、部屋まで来てドアを叩いて、「PCR検査受けろ!!」と怒鳴るのです下に降りたら感染するかもしれない、偽陽性が出るかもしれない、でも、ちゃんと受けなかったら大白に怒られる。何をしても負けというような状況でした。


このようなルーチンが12日ほど続き、その間新規感染者が出なかったので、このまま解放されると思いきや、13日目にまた陽性者が出て、また14日間追加されたのです。しかも今度は、一人でも陽性者が出た場合、その階に住む住民全員を隔離施設に連れて行くという噂が流れていて、そんな噂を聞いてから、その日に出た新しい感染者は上の階の人だったことを知り、本当に怖くなってきました。噂によると、夜中急に大白が部屋まで来て、「荷物をまとめろ」と言い、無理やりでも隔離施設に連れて行くらしいです。その夜から怖くて寝られませんでした。


幸いそのようなことは起きませんでしたが、その日からは大白が一人ひとりの部屋まで来て、その場で抗原検査をやるのを見ていました。やっぱり抗原検査の場合はごまかせるからでしょうね。それで私の検査が陰性だった時、今度は下に降りてP C R検査を受けろと言われました何故陰性なのにさらに受けるのか疑問だったのですが、どうやらPCR検査の最中に感染するリスクがあったため、まずは抗原検査で確認し、それが陰性であれば下に降りて良いというようなロジックだったそうです。


このような状況がまた続き、もう限界が来ました。40日以上部屋から出られず、食料もろくに買えない。政府から配給はあるものの、豚の耳とか、豚の内臓、鴨の内臓、謎のソーセージなど、正直あまり嬉しい配給ではない。


よくわからない政府からの配給。


もう、何のために上海にいるのかが分からなくなってきて、ロックダウン40日目に帰国を決意しました。


ただ帰国までの道のりも決して容易なものではありませんでした。最速で購入できたチケットは翌週の便で、もちろん日本に入国するためにはPCR検査の陰性証明が必要だったので、まずはチケットの購入と指定の病院でのPCR検査の予約をしました。また、マンションの敷地から出るためには居住委員会から特別な許可(通行証)をもらう必要があり、私の場合は特に書類は必要ありませんでしたが、場所によると領事館からの口上書などの書類を提出しなければならなかったそうです。ただ、自分がこの通行証をもらったとしても交通手段がなければ話にならないので、同じく通行証を持った運転手を見つけなければなりませんでした。タクシー、バス、電車などは運営していなかったので、大使館から紹介してもらったプライベートハイヤーの会社に連絡をし、PCR検査の病院の往復と、空港への片道の交通手段を手配しました。PCR検査病院の往復は1200元、空港までは2000元、通常の10倍以上しました


出発の2日前にPCR検査を受けに行ったのですが、私の場合は幸い大白たちもすんなり出してくれました。知り合いはちゃんと必要書類を提出したにもかかわらず、門番や大白に話が伝わってなく、出させてくれなかったそうですが中国ではしつこく言えば通してくれるという感じですが、私は極力ニコニコし、愛想良くして、大白たちと仲良くなる作戦で行きました。そうすると大白たちも愛想良く対応してくれて、ジョークも言いながら出してくれました。その日は無事PCR検査を受けられたのですが、病院に入るときにPCR検査の48時間以内の陰性証明が必要でした。PCR検査を受けるためのPCR検査

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一人だけでかいリムジンバスを貸し切り...



そしてその翌日の夜、空港に向かいました。朝8時くらいの飛行機だったので、当日出発してもよかったのですが、万が一早朝出発で大白が出してくれなかったり、領事館も居住委員会も運営時間外で対応してくれなかったりすると怖かったので、前日入りで空港に行き、空港で一泊しました。野宿先輩が何人かいたので、状況はよく分かっていました。とにかく何もお店は開いていない、提供されるのはお水とお湯だけ、空港の中は寒い、横になって寝られないなど、結構状況は悲惨だったと聞いていたので、食料も防寒着もたくさん持っていき、なんとか一晩無事過ごせました。

誰もいない空港。

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その日は一便だけ。

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テント張ってる人もいました。



その翌朝、無事チェックインができ、予定通りの飛行機で帰ることが出来ました。この悲惨な状況から脱出できたことが嬉しすぎて、日本語の登場案内を聞いた時、涙が出そうになりました


日本に帰ってきた時、中国との差に驚きました。自主隔離を3日間実施し、その後PCR検査を受けて自由になってのですが、そこまで厳しく管理されず、みんなも非常に丁寧に対応してくれました。やっぱりどれだけ感染力の強いウィルスだとしても、ちょっと上海はやりすぎだと思います老人の方が薬が切れたのに病院に行かせてもらえなかったり、子供ががんの化学療法を受けた後、自分のマンションに入れてもらえなかったり、陽性結果が出たからといって赤ちゃんを親から引き離して隔離施設に連れて行かれたり、飼い主が陽性者で隔離施設に連れて行かれたから犬を叩き殺したりちょっとやり過ぎです。


私はなんとか無事脱出できましたが、まだ上海で苦しんでいる人はたくさんいるので、その人たちが安全に生活できること、帰れるなら自国に帰れること、いつか上海は元通りに戻れることを心から祈っています。


*おまけ*

あんまりふざけたことは書きたくなかったのですが、人生で初めて鳥を丸ごと捌かないといけない状況に出会ったので、その写真を共有します。政府からの配給は大したものではなかったのですが、今の会社は非常に良い会社で、肉、野菜、果物など、素晴らしい配給を配ってくれました。でも、その中に鳥が丸ごと一匹...結局頭と足を切り取って、内臓も全部取り出して、丸ごとスープにしました笑。

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# by yuko_f0301 | 2022-05-21 17:09

実は最近、転職先がやばくて2ヶ月で会社を辞めました。今だから笑えますが、その時は本当にうつ病になりかけていました。同じようなことを経験している方、退職したいけど勇気がない方、悩んでいる方など、一人でも助けられればと思い、この記事を書くことにしました。私の経験したのは全然マシな方だと思いますが、メンタルの強さは人それぞれなので、自分が精神的に苦しいと思うのであれば、できる限りその状況から脱出することをお勧めします。

【背景】

私はもともと外資系の会社に努めていたのですが、日々の業務にやりがいを感じなくなり、転職活動を始めました。運良くと言って良いのか分からないのですが、すぐに転職先が決まり、数ヶ月後には転職に成功しました。

しかし、入社して一週間のうちに「この会社はやばいかも」と思い始めました。仕事内容は良かったのですが、人間関係と職場環境が非常に悪く、ここには長くいたくないと思うような雰囲気でした。まず一週目に経験した「この会社、やばいかも」と思った出来事を紹介します。

  • イベントへの参加のために、日曜日に新しい会社の人とPCR検査を受けに行ったのですが、その人達はその後出勤していました。私が「日曜日に出勤するんですか?」と聞いたところ、「この会社はブラックだから」という回答が返ってきました。
  • 新しい会社の同僚と夜ご飯を食べに行った時、よく行くお店の話をしていたのですが、同僚は深夜まで開いているお店しか「間に合わない」と言っていて、毎日12時近くまで働いていると聞きました。
  • 一緒に働いていた同僚から直接「この会社に長く務めることはお勧めしません」と言われ、理由を聞いたところ「激務」や「ブラック」等の言葉が出てきました。
  • 私の直属の上司に当たる人が、クライアントの前で部下や業者の方に大声で怒鳴ったり、わざわざグループチャットで暴言を吐いているのを何度も目にしました。この人が私が辞めた一番の理由です。

一週間のうちにこのような出来事があり、更に意味のない業務で残業をすることもあり、「この会社はやばいかも」と思うよになりました。

【退職の理由】

先程も書いた通り、自分の機嫌によって暴言を吐いたり、何も悪くない人に八つ当たりしたりするこの上司が私が退職を決意した一番の理由です。その他にも、自分が分かりにくい指示や間違った指示を出したにも関わらず、それを間違えた部下に怒鳴ったり、自分も同じことをしているのに、それに対して部下に説教したり、「私が入社した時はもっと酷かった」等のコメントをしたりする等、色々な意味で最悪な上司でした。

上司以外にも、他の同僚もなんだか暗く、人間関係があまり良くなかったのです。まず現地スタッフが日本人スタッフのことを嫌っているようで、挨拶もなく、仕事をお願いしてもきちんとやらないか、嫌そうな表情で必要最低限のことしかしなかったりしていました。また、前の会社の英語が堪能だった中国人とは違い、日本語も英語も話せなく、あまり要領もよくなかったようでした。このようなことを言うのは失礼かもしれないですが、事実です。とにかく中国人スタッフは日本人スタッフのことが大嫌いでした。

でもその理由はよくわかりました。日本人スタッフも現地スタッフに対する態度が酷かったです。私に「あいつは仕事全然できないから」や、「何もできないくせに偉そう」等、本当にひどいことを裏で言っていました。これは中国人スタッフに限ぎらず、日本人スタッフ同士でも同様に悪口を言っていました。言うまでもなく分かると思いますが、もちろんお昼休みや仕事の外での交流は全くありませんでした。個人的に私も仲良くなりたいと思う人が一人もいませんでした。

【退職を決意した瞬間】

退職をしたいと思った最も大きな理由は上司だったのですが、この人が居たせいで毎日仕事に行くのが怖かったのです。出勤前、朝ごはんが食べれない程気分が悪くて、会社に行くために家を出るその一歩が重くて、それだけで力が全部なくなるような感じでした。しかも連絡は全部個人の携帯に来るので、携帯を見るのも怖くて、趣味の水泳やダンスをしている時もしょっちゅう連絡が来ていないか不安で、何も楽しめなかったのです。

職種が職種だったので、週末に勤務することが多かったのですが、その分一応代休申請はできました。しかし、その代休申請をした時、嫌味な、罪悪感を与えるよう言い方で返事をされて、その瞬間に退職を決意しました。必要なく意地悪をするような上司の下で働く必要がないと思ったからです。その翌日、上司を呼び出して退職したいことを伝えました。

【退職願いの後】

問題はこの人だったのですが、直属の上司だったため、伝える人はその人しかいませんでした。もちろん怖かったのですが、このまま何年もうつ気味のまま働くよりは、一回だけ怒鳴られても良いからと思い、勇気を出して退職したいことを伝えたました。すると、急に優しくなって、「辞めないでほしい」と謝られました。これは私が優秀だからというわけではなく、単にコロナで日本人が足りないからという理由ですが、この瞬間に私が思ったことは「優しく対応することができるのなら、あんな風に八つ当たりしていたのは、わざとだったのだ」ということです。必要なくひどい対応をする人は正直あまり意味がわからないです。

ただ私にとっては「もう遅い」という感じでしたので、その上司のまた上司と話をし、無事退職ができました。その方は非常に優しい方で、私の気持ちをよく分かってくれました。その方によると、私以外にも日本人を含む4人がその人が理由で退職したそうです。そのような事実があるにも関わらず、何も行動を起こさないのも効率が悪いと思いますが、退職願いを受け入れてくれて私は無事退職ができたので、何も文句はないです。

【その後】

退職後はまた外資系(また別の外資系企業)に戻り、今は信じられない程幸せです。周りは私みたいな海外経験の長い帰国子女ばかりで、毎日みんなで笑いながら仕事をしています。仕事内容もやりがいを感じるものですし、給料も例の会社よりだいぶ高いです。上司も部下のことを想って常にサポートをしてくれる方で、わからないことがあれば丁寧に説明してくれるし、責任感もあって、任された仕事はきちんとできると信じてくれています。今は毎朝起きた時「仕事に行きたくない」と思わないし、食欲も戻ってきて、趣味も楽しめるようになりました。本当に勇気を出して退職してよかったと思います。

【この経験で思ったこと】

この経験で思ったことは、友達と家族以上に大事なものはないということです。私が退職できたのも、次の仕事をすぐに見つけることができたのも、うつ病にならなかったのも、全て周りにいてサポートしてくれた人たちのお陰です。退職を決意してから、友達の知り合いから「英語を話せる日本人をちょうど探しているから、よければうちに来ない?」と言って頂き、またその翌日に別の友達が働いているコンサルティング会社からも仕事の話を頂きました。さらに別の知り合いが働いている会社からも同様にお声がけいただき、一週間以内で次の仕事が決まりました。これは私が特別に優秀だからという訳ではなく、両親が教育にお金をかけてくれたお陰で英語と日本語がネイティブに話せたからだと思いますが、とにかく信じられなかったです。

また、中国に滞在するのにも色々なビザの手続きなどが必要だったのですが、その件でも助けて下さった方が何人もいました。そして、私が落ち込んでいる時、両親や前の会社の人、趣味で参加している水泳部の人、日本の友達など、本当に色々な人に相談に乗ってもらい、元気を出してもらいました。私が一人でこのような悩みを抱えていれば、何が起きていたか分かりません。本当に感謝しています。何が言いたいかと言うと、築いた関係を大切にすることによって、いつ救われるかわからないと言うことです。

また、この経験で思ったもう一つのことは、精神的に厳しい環境にいる時は、怖くても勇気を出してその環境から脱出するべきだと言うことです。数ヶ月前まではご飯も食べれず、趣味も楽しめないような精神状態だったのですが、今は本当に幸せです。そう簡単に行かないと思う方もいると思いますが、人生は一度しか生きれないので、うつ病になりながら仕事を我慢するのは勿体無いです。可能な限り、自分の幸せは自分で見つけましょう。


# by yuko_f0301 | 2022-03-08 08:15
今年のゴールデンウィークは、中国中部の西安に行ってきました!

陝西省の省都である西安は、中国文明発祥の地とも呼ばれ、有名なシルクロードの東端に位置し、13の王朝の首都でもあります。
紀元前11世紀から中華帝国の文化的・政治的中心地であった旧長安で、唐の時代の古い遺跡を見たり、イスラム教徒である回族の文化を体験したり、有名な兵馬俑を自分の目で見たりすることができました。

1日目:西安に到着!

上海から飛行機で約2時間半後、西安に到着!
まずは感染防止のため、緑色のヘルスコードを出し、それをスキャンして空港を出ることができました。
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回族街

まず最初に向かったのは、中国の少数民族の中で最も大きいイスラム教の民族、回族が運営しているお店が集まった「回族街」という場所。
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西安の名物のほとんど(羊肉串,泡馍,biangbiang面,凉皮等)はこの回族街で食べれます。
女性はHijab、男性は白い帽子を被っている様子から、イスラム教の文化が伝わってきます。
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いろいろなお店があって、とても活気のある街でした!
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お昼ご飯は、回族街にある面屋さんで。日本でも画数が非常に多いと知られている biangbiang面を食べました。
レストランの様子。
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そしてbiangbiang面。面が帯のように太いと言われてます。写真ではそんなに太く見えないですが、一本食べただけでだいぶお腹いっぱいになります。
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西安清真大寺

続いて向かったのは、回族街の奥にある西安で最も大きいモスク「西安清真大寺」。
唐の時代(西暦724年)に建てられ、1956年に省の重要文化保護遺物として発表。中国とイスラムの建築スタイルが混ざっていて、とても綺麗でした。
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入り口には、Hijab等が販売されてあります。
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中は結構広い。
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ここが礼拝場所。

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イスラム教では一日5回お祈りをします。ちゃんと礼拝時間を教えてくれる時計が設置されています。
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モスクを見終わった後は、西安の名物の一つである、ザクロジュースを一杯。
石榴は元々ペルシャのフルーツであり、中国でも西に行けば行くほど、石榴の木が増えていきます。
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鼓楼/钟楼
1380年代に建設された鼓楼/钟楼は西安市中心に設置してあり。東西南北の中心を示しています。
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陕西歴史博物館
続いて向かったのは、陕西歴史博物館。1983年建設が始まり、1991年に一般公開されました。唐の時代の建築スタイルを取り入れているそうです。
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長安は昔、東と日に市場があり、売られている品が異なっていたため、物を揃えるためには東と西の両方に行く必要がありました。中国語で「買い物をする」は「买东西」というのですが、これがそのフレーズの由来だそうです。
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大雁塔
博物館の後向かったのは、仏教パゴダの「大雁塔」。ここには三蔵法師がインドから持って帰ってきた仏教の物が展示されてあります。
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コロナ対策の説明に三蔵法師が登場してて、可愛かった。
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そして中へ。
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この巨大な建物を上まで登りました。。
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でも上からの景色はとても綺麗!
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三蔵法師の展示物。
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大唐不夜城
パゴダのすぐそばにあるのが、現地の人にも人気な「大唐不夜城」。レストランやお店がたくさん集まった街ですが、回族街のように文化・歴史であふれているというより、とにかく綺麗。この写真は知乎より。(https://zhuanlan.zhihu.com/p/77066536)
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歩いていたら、噴水の周りで大騒ぎしているのを見かけて、どうしたのかと思って近寄ってみました。すると、その噴水は声に反応して水を吹き出す特別な噴水でした!すごいなぁ〜
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これで1日目は終了。

华清宫

二日目にまず向かったのは、

# by yuko_f0301 | 2021-06-09 23:08
上海市内にある「太陽島」というリゾートに行ってきました!上海市の中心からなんと海と反対方向の西方面で車で1時間くらい離れた、川に浮かぶ離島にあるリゾートでした。ここに温泉があると聞き、友達と3人で行ってみることにしました。

地図にある、緑の点が私が住んでいる上海市中心部となり、赤い点が今回行った太陽島です。

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見た通り、川に浮かぶ細長い島です。ここでは、温泉がメインとなっているのですが、そのほかにも乗馬やゴーカート、手漕ぎ船、アーチェリー、ペットランドなど様々なアクティビティーがあります。宿泊施設もあり、ホリデー・イン系列のなかなか良い感じのホテルでした。

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島自体はかなり広くて、A, B, C, Dの間はシャトルバスで移動。徒歩も可能ですが、例えばAからBに行くのは30分くらいかかっていたそうです。

<乗馬にチャレンジ!>
一緒に行った友達の一人が乗馬が大好きで、是非乗馬をしたいとのことでしたので、早速行ってみました。

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まぁ、そこまで本格的ではありませんでしたが、楽しかったです。私も小学生の時乗馬が大好きで、久しぶりに馬の匂いを嗅いだり、馬に触れたりし、とても楽しかったです♬
ちなみに料金は下記の通りでした。私たちは外回りにしました。
内回り(600m)・・・80元(1200円)
外回り(1500m)・・・120元(1800円)

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<SPA・温泉へ>
乗馬の後は、メインの温泉へ!
温泉の建物の中は、なんだか日本風(笑)。まずはスリッパに履き替えて、チェックイン。電子ロッカーの鍵を受け取り、それで入館。

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日本の温泉とは違い、水着で男女一緒に入る感じでした。個人的にはこっちの方が好きです!
室内には足湯と、普通の日本にあるような温泉。

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でも、私たちが興味があったのは、やっぱり露天風呂!

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温泉というよりも、温水インフィニティープール?(笑)でも温度は大体40°前後で超〜気持ち良かった!
綺麗な自然を眺めながら、、と思ったら所々偽物の植物が。さすが中国(笑)。
噴水の中を良く見たら、虹が見えます!絶妙なタイミングでお風呂に入れて嬉しいです!

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本当に温泉なの?って感じですが、どうなのでしょうw
一応原湯とは書いてありますが、多分普通のお風呂だと思います。でも、各風呂に特別な薬が入っているようで、香りが違いました。まるでかまじいが高級な薬の入ったお湯を入れてくれたみたい(笑)

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ちょっとお風呂から休憩することもできます。ここで、ローブを着て、アイスクリーム、フルーツを食べたり、お茶を飲んだり出来ます。

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アイスクリーム、フルーツなどは全部無料!

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ここで休憩した後、サウナに入ってきました。50°以下で、そんなに暑くなくて心地良かったです!

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<泖塔・the Pagoda>

サウナの後は、着替えて島の散歩。温泉の場所から徒歩5分の場所に、「泖塔」という建物がありました。
ちょっとした森みたいなところを通って、

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じゃ〜ん!

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まぁ、北京の巨大な建物を見た後だったら、あんまり感動はしませんが・・・(笑)
正直何の歴史があるのかも不太清楚。。

<帰り>
そして午後6時くらいに、現地を出て上海中心へ向かいました。
今回、外人向けのツアーを使って、ガイド、入場料、交通費などで400元(6000円)でした。
悪くないじゃん!と思ってたのですが、あとで大众点评で調べたら、入場料が30元(450円)でした・・・
まぁ、英語が話せるガイドがいた方が安心でしたし、結構満足してます!

是非、中国に来る機会があれば行ってみてください!♬


# by yuko_f0301 | 2021-02-23 11:02

年末年始は、元々日本に帰る予定だったものの、この状況の中中国から出たら戻れなくなってしまうと思い、国内旅行という選択肢を選びました。行き先は中国の北、ロシアの近くの黒龍江省にあるハルビンというところ。地区の人口は約709万人、地域全体の人口は1076万人の大都市のハルビンは、黒龍江省の政治と経済の中心です。今の時期、気温はマイナス20度と、非常に寒いので、上海から行くのは少し勇気が入りましたが、せっかくなので行ってみました!


<1日目>


7時の便でハルビン出発!上海からは飛行機で3時間弱、大阪に行くよりも少し遠いくらいです。到着した空港にはちゃんと更衣室がありました。やっぱり上海から来る人は、空港で防寒着に着替えないといけなのですね。


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到着してまず向かったのは中央大街。ロシアの影響があり、なんだかヨーロッパの風景みたいでした。


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ハルビンの名物は、パン、ソーセージ、アイスキャンディーだと、事前に読んでいたので早速試すことにしました。ただ、私はあまりの寒さにアイスキャンディーはやめました友達のを一口もらいましたが、非常においしかったです!パン(5元、75円)もソーセージ(11元、165円)も、とても美味しかったです!


この小さい屋台で買いました。

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結構並んでました。



アイスキャンディーは冷凍庫不要笑。


そのまま中央大街をしばらく散歩。ロシア風のお土産屋さんや、吉野家などがありました。

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吉野家はどこにでもあるんですね。


そのまま中央大街を通り抜けたら、スターリン公園にたどり着きました。ちなみ中国語で「スターリン」は「斯大林」と言います。公園の中には、1957年に洪水から市を守った記念塔があります。


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この塔の先には大きな川があるのですが、冬の間はかわは凍っているので、その上で雪まつりをしてます!お祭りの名前は「松花江冰雪大世界」で、様々なアクティビティーができます。凍った川はトラクターが走れるほど厚いので、割れる心配は全くないそうです。

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これが全部川の上なんて、すごいですよね。

どこの地域かは忘れてしまいましたが、北の方の料理を販売している屋台もありました。こんな寒い中ずっと外でかわいそう、、

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りんご飴も売ってました!ここでは買いませんでしたが、他の場所で初めて食べてみました。そんなに甘くなくて、どちらか言うと酸っぱい感じで、結構美味しかったです!

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私だと全然わかりませんが、一応記念写真を撮りました。

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お祭りの後は、ロシア料理屋さんでディナー!店内がとてもお洒落で、高級感満載。でもそんなに高くなかったです。

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習近平とプーチンも来たことがあるそうです!

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ロシア料理の代表ともいえる、定番のスープ、ボルシチも食べました。ビーツを使った鮮やかな色合いが特徴のスープ、見た目との味が違いましたが、美味しかったです!

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こちらは、エビの壺焼き。
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イカの料理も、とてもおいしかったです。

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この不思議なツナとビーツ、卵のペーストみたいなのも、おいしかったです。その他にもパンや串焼きなど、盛り沢山の料理でしたが、本当にお手頃価格でした。ボルシチなんて18元(300円弱)でした。

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ホテルはなんと五つ星!Sofitelというホテルに泊まりました。

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<2日目>

朝食後、黒龍江省博物館に行きました。

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昔はロシア語がかなり盛んで、学生の7割は第二外国語としてロシア語を専攻していたそうです。残りの3割は英語を選択していました。下の写真は、当時のタバコの箱です。ロシア語です。

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さっき私たちがアイスキャンディーとソーセージを買ったホテルは1906年に建てられた、ハルビンで最も古いホテルの前でした。当時は満洲国もあり、日本語も盛んだったそうです。よくよく見れば、中国語、ロシア語、日本語でホテル名が書いてあります。

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こちらはニコラ教堂。木造で、残念ながら文化大革命の際に壊されてしまったので、今はもうありません。

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次に向かったのは、個人的にとても楽しみにしていた聖ソフィア大聖堂。本当にロシアみたい!

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中もとても素敵!最後の晩餐の絵がありました。

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近くのお土産屋さんもロシア風。ちなみに「ロシア」は中国語で「俄罗斯 (e luo si)」です。

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お昼ご飯は、ハルビン名物の水餃子を食べました!

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お昼ご飯の後は、太陽島というところへ。雪の彫刻がたくさんあって、とても素敵でした!まさにWinter Wonderlandですね。

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外の気温はマイナス20度、、
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まつ毛も凍ってしまいました、、
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そりで降りる滑り台もありました。
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次に向かったのは俄罗斯(ロシア)风情小镇という、おとぎ話しに出てきそうな雪の積もった小さな可愛い街。入る時、ロシアのパスポートみたいなチケットがもらえます!中はまるでロシア。

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ロシアの大統領のマトリョーシカもありました。何故かスターリンはいなかったけど。

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そして遂に、念願の冰雪大世界に!

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入ったのは4時くらいでしたが、もう暗くなり始めてました。
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夜になると、さらに美しく!
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ちゃんと防寒用品も売っています。
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まるでアナ雪の世界に入ったみたい!氷の郵便局もありました。
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郵便局の中はこんな感じ。

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ここの滑り台は200メートルあり、世界一長いそうです。でも待ち時間3時間、、マイナス20度で3時間も待ちたくはなかった。友達は並んでましたが、私は1時間は待ったものの、足が痛すぎてギブアップしました

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人多すぎる、、

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氷祭りを満喫(と言うか、寒さに耐えられず早く帰ろうと言った)ところで、晩ご飯のしゃぶしゃぶへ!

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<3日目・最終日>

帰りの飛行機は夕方だったので、午前中は虎園に行きました!

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動物園みたいなのを想像してたら、サファリみたいでした。まずはバスを待って。
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そして乗る。お客さんが全然いなくて、ほぼ貸し切り状態でした。
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いましたー。
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何故かライオンも。こんな寒いところで大丈夫なのかな?
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虎園の後は、空港へ向かい上海行きの飛行機搭乗。

以上、ハルビン旅行の紹介でした!ロシアみたいな風景で、大規模な雪まつりがあり、本当に素晴らしい街でした!でも、マイナス20度の世界は私には厳しすぎる、、次は暖かいところに行こうと思います(笑)。




# by yuko_f0301 | 2020-12-31 23:58